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私にとってクラシックコンサートとは

先日、グレン・グールドが好きなら、とクラシックのコンサートにお誘いを受けて行って来た。(グレングールドとは、1932年生まれのカナダのピアニスト。)

 初夏の晴天の爽やかな夜風が吹く日で、外でビールを飲みたいのをグッと堪え、初めてのクラシックのコンサート。なにしろ初めてのことだったので詳しいことは分からないというのが正直なところだが、演奏中は驚くことが起きた。この日はベートーベンのピアノ協奏曲第4番などが演奏されたが、その演奏の間、仕事のインスピレーションが溢れて止まらなかった。仕事で課題になっていることをどうするべきか、どう向き合えば良いのか、交響楽団の演奏が進むのと同時にスルスルとインスピレーションが沸いてくる。これは止めた方がいいのではないか、演奏に集中するべきではないか、と悩んでみたりもしたが、これは進めるべきだなと観念して仕事のことに集中してしまった。これは私にとって新しい体験・発見であり、貴重な時間だった。演奏を細かく聞くことはできないし。こういう聞き方は邪道だが、演奏中は雑念もクリアになり、仕事のことにだけ集中できる良い時間だったし、不思議な達成感・高揚感もあってストレス解消にもなった気がする。

新しい体験を与えてくれて感謝。

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GLENN GOULD / ENIGE PORTRAITS DES KÜNSTLERS ALS JUNGER MANN

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Mathieu Mategot

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本日はMMSSで多くラインナップしている家具デザインに関連する本の中でも、マシューマテゴについての本をご紹介させていただきます。

マシューマテゴは1910年にハンガリーのタピオ・サリーで生まれた家具、タペストリーデザイナーである。1925年に父親が死に、家族全員でハンガリーの首都であるブダペストに移り、ブダペスト美術学校で4年間学び、国立劇場の舞台装飾の仕事に就いた。イタリアやアメリカ、南アメリカなど様々な場所へ旅に出たあと、パリに定住したマテゴは、デザイナーとして活躍した。小さい頃からタペストリーに触れていたマテゴは、自らもその制作に情熱を傾けていた。第二次世界大戦でその制作は中断され、捕虜となったマテゴはドイツで4年間監禁され、収容所で農業や機械工をすることを余儀なくされた。そこでマテゴの家具の代名詞となったパンチングメタルなどの素材と出会う。捕虜から解放され、フランス・パリに戻ったマテゴはタペストリー制作を再開させ、1948年にはフランスに帰化し、タペストリーと家具作りで生計を立てることを決心をした。その後、フランスのディレクターであるDenise Manoelと出会い、タペストリーの展覧会を開くようになった。家具の販売はすぐに軌道にのり、1949年には20人の職人を抱える工房に成長した。

本書はそんなマシューマテゴの主に家具についてを軸に系譜を辿り、その人生や感性を覗き見する内容となっている。上述したようにマテゴがパンチングメタルと出会ったのが捕虜時代だったことは興味深い。捕虜として働きながらも様々な素材に目を光らせていたに違いない。これで何か作りたい、そうウズウズした気持ちを抱きながら仕事をこなしていたのだろうか。

また、この本の終盤にはフレンチミッドセンチュリーの上質でモダンなインテリアがふんだんに掲載されている。これはきっと貴重だ。

マテゴの家具は滑らかなカーブに乗り、パンチングメタルのドットからも、まるでグラフィックデザインから飛び出てきた家具のように思える。

巻末の略歴にはタペストリーのことばかり触れていて、マテゴはタペストリーがメインで家具はサブだったりするのかなと勝手に連想してしまうが、現代の日本ではマテゴといえば「家具」のイメージが定着している。

ビビットな色彩とモダンな造形から現代でも愛好家が多いマテゴの貴重な一冊をぜひ楽しんでほしい。

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BONJOUR MONSIEUR LE CORBUSIER

こんにちは、スタッフの小玉です。

今回はMMSSの蔵書である「BONJOUR MONSIEUR LE CORBUSIER」をご紹介します。


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「ボンジュール、ル・コルビュジエ」というタイトルにもあるように、この写真集に写るコルビュジエはとてもフランクな顔をしているし、時折笑顔で目線をくれる。写真を撮ったのはロベール・ドアノー。当時から数多くの芸術家のポートレートを手掛けている。この写真集はコルビュジエの素顔を引き出すドアノーのポートレートと、何気なく写っている絵画、什器などのインテリアやコルビュジエの服装など、コルビュジエの美意識の高さを味わうこともできる。いわばカセットのA面B面的なものを読者が勝手に付加できる写真集だ。


第一章では、ル・コルビュジエの建築スタジオ35 Rue de Sèvresをテーマに撮られている。ある写真では、縦に長い部屋、机が横に5台ほど並べられ、ライトは全てGras。天井まで伸びる窓が6つあり、リネンで光を遮っている。スタジオの中は紙が散乱していて、シャツの上にタイトなグレーのニットを着た男性が壁に何か描いている。この時代、フランス人のシャツの襟は少し大きめのようだ。一方のコルビュジエは、ダブルブレストのスーツに蝶ネクタイ、美しくチーフを胸に挿している。「ザ・ル・コルビュジエ」というスタイル。その後、デスクに戻り作業をするコルビュジエが写っている。椅子はThonet 209だ。


第二章では、ル・コルビュジエのアトリエ兼自宅に移っている。
着古されたレザーのダブルブレストのジャケット、蝶ネクタイ、太畝のパンツを履いている。この章前半では外羽根の革靴だったが、章後半では暖かそうなサボを履いていた。自宅外の写真もあったが、雪深くとても寒そうだ。犬(テリア)と写るショットも何枚かあり、愛犬家であることが窺える。自宅のリビングではThonet 209と210を併用していることがわかる。彫刻や絵画がバランスよく置かれるが、多国籍な感じは全くない。フランス人がフランス人のために完璧に造作したモダンインテリアという感じ。(コルビュジエはスイス生まれではあるが、、、)


と、ここまでいわゆるB面をスケッチのように記してきたが、この写真集を何回か見ているとコルビュジエが生き生きとカメラに向かって語りかけていることが分かる。笑顔でカメラを向けられているのに緊張感がなく、普段のコルビュジエが映像で再生されるようだ。コルビュジエを見ているのに、カメラを持つドアノーのフランクさも見ているような・・・。どうしてもコルビュジエを主人公にページを進めてしまいがちだし実際そうなのだが、被写体を通して自分を力強く表現するドアノーの表現力というものも魅力の1つであることを感じ取れる1冊だった。


この1冊を借りたい方はこちらよりお願いします。

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感性の退化

あけましておめでとうございます。スタッフの小玉です。

今年もよろしくお願いします。

私は本日が仕事始めとなりました。一日に初詣を済ませ、おみくじは末吉。今年の運勢は☆1つ(☆5個中)と神様から散々なことを言われたのですが、2023年も着実に進んでいきたいものです。

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私は最近、「感性の退化」について考えています。インスタグラムやPinterestのように画像や写真でインスピレーションを得るようなやり方について私は結構疲れてしまっていて、結局は充実感が得られないというか、それでは自分の好奇心であるとか、興味関心が薄れてしまっていくのを実感しています。

私の世代は高校生のときスマートフォンが流通して、写真というものがより身近に感じられるようになりました。次第にオンラインで物が買えるようになり、物は写真で見て買う、物は写真で見て判断するということを鍛えてきたように思います。写真で物の良し悪しを判断する技術はあるように思っているのですが、それでは「感性の退化」に抗えないことがようやくですが分かってきました。あくまで写真は取っ掛かりであって、そこから行動を伴う動きが自分自身の感性を保つためには良いのではないかと考えています。

最近でも、とある作家さんの作品の写真がSNSから流れてきて、翌日作品を拝見しにいくという動きをしたことがありました。そこから作家さんに直接お会いし、物物交換をさせていただいたり、新しい作品を作っていただく流れになったり、豊かな出会いに恵まれました。こういったアナログな物との出会いが自分の感性を繋ぎ止めてくれていることを実感した昨年末でした。今年も良いモノ、ヒトとの出会えることを楽しみにしています。

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WHO ARE WE

MMSSをご覧いただきありがとうございます。

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さて、本日まで国立科学博物館で開催していた「WHO ARE WE 観察と発見の生物学 国立科学博物館収蔵庫コレクション | Vol.01 哺乳類」を見たんですが、そういえばこういう世界もあるんだよなと思い出させてくれました。
この展示は什器が秀逸でして、Vol.1を見逃した方もぜひVol.02は見にいってもらいたいです。

私個人的な印象なのですが、私の周りの人たち(インスタグラム経由も含めて)は美術館やギャラリーに足繁く通っている方が多く、そういった場所からインスピレーションを得る方々が多い気がしています。

美術館で展示されているものの多くは、人が発案したものや発想が起点になっていることが多いかと思います。

それもそれで素晴らしく、人々を魅了する種です。
当MMSSでもその”種”に魅了された志摩が収集した書籍を、美術館と図書館の中間くらいを目指して運営しています。

でもそれだけじゃないよなと。

実際、この前買ったあるブランドのリュックは昆虫の構造からインスピレーションを受けているものだったし、私が大好きなPOSTALCOのマイク・エーブルソンさんのことを調べると、アートだけでなく、人体の構造や魚の顎の構造など、博物館を中心に自然から学べる領域でデザインに活かしているデザイナーも多くいることが分かります。

私たちはどうしても美しくディレクションされていたり、キュレーションされているものに惹かれて行動を起こしがちだと思うのですが、そういった博物館で学べる事柄であったり、収蔵されているものには、私たちが美しくキュレーションし、創造していく力が試される気がします。そして、これからはそういったところから自分自身の種を作っていくことが大事なんじゃないかと個人的に感じているところです。

なので、当MMSSのオーナーである志摩にもそのことを伝え、新しいトピックができたらいいなと思っています。

最後に、現在のMMSSで今回の雑記の内容に関する本をご紹介します。

BIOSOPHIA of BIRDS鳥のビオソフィア : 写真家上田義彦のマニエリスム博物誌(和書/日本語、英語)

ONE HUNDRED STONE WEARES 百石譜 写真家上田義彦のマニエリスム博物誌(和書/日本語、英語)

Man Matter Metamorphosis 10 000 Years Of Design

Birgitta De Vos : Omnipresent | Beyond Borders(洋書/英語)

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MMSS体験寄稿 第2冊目 「ラインズ〜線の文化史〜」

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さて、今回の雑記の内容ですが、前回から始めた「MMSS体験寄稿」という企画の2冊目。MMSS体験寄稿とは、MMSSを実際に体験してもらい、本にまつわる文章を寄稿してもらうというもの。

今回も絵描きである守屋李央さんに寄稿していただきました。

第2冊目はティム・インゴルドによる「ラインズ〜線の文化史〜」です。


すべてはうごめく線として

 「歩くこと、織ること、観察すること、歌うこと、物語ること、描くこと、書くこと。これらに共通している事は何か?それはこうしたすべてが何からのラインにそって進行するということである。」

 という書き出しが、言ってしまえばこの本の中で語られてゆく全てではあるが、この一文で何かピンとくるものがある人もいればいまいちピンとこない人もいるだろう。そもそも、ライン(線)を考えるとは一体どういうことなのだろうか。この本は、ティム・インゴルドという人類学者がありとあらゆるものを線という観点から捉え直してゆくその記録である。

 

 まず、ライン(線)といって、みなさんは何を思い浮かべるだろう。一度、ここでイメージしてみてほしい。空を見上げた時の飛行機雲、グラウンドにひかれた白線、家電のコード、雪道についたタイヤの跡、領土を分つ地図上の境目、山道に残った足跡、電線、何かの輪郭、神経、ペンを手に取って引いた線、道・・・・、挙げていったらキリがない。そう、ラインはどんな場所にも存在し、言ってしまえば世界は無数のラインで出来ている。そして、そのラインたちは、目に見えるものもあれば見えないもの(抽象的なもの)もある。

 インゴルドはラインを主に糸[thread](毛糸の玉や電気回路、ヴァイオリンの弦など人工的なものから植物の根や菌糸体や茎や新芽、また外部に体毛や羽毛や触覚やひげを備え、内部に血管と神経系を備えた動物の体もまた複雑に結び合った糸の束と捉えられるとする)と、軌跡[trace](連続的運動によって硬質な表面の中や上に残される、あらゆる恒久的な痕跡としている。紙の上に木炭で描かれるラインや、動物の移動によって残される通過形跡など)の2種類に区別する。

 また、その二つは異なったカテゴリーではなく相互に変形し合うもので、糸が軌跡になることもあればその逆もあると考える。糸が軌跡に変化するときには表面が生成され、反対に軌跡が糸に変化するときには表面が溶解する、と。

 第3の分類として切れ目・亀裂・折り目、それ以外にも幽霊のライン、分類できないラインというのも提示はされるが、主に論じられているのは糸と軌跡、またそれらと表面の関係性についてだ。

 糸が軌跡となって表面が生成される、このわかりやすいイメージとして挙げられるのは織り物だろう。また、テクストも織られるものであると、インゴルドは書いている。横書きに文字を書くことを想像してほしいのだが、そのとき文字の線が一定の幅を上下に振幅しながら縦方向に進行する移動を通じて、テクストの行は姿を現す。これは横糸が決められた縦糸の間を水平に移動しながら縦方向へ移動することによって縞模様が織り出されるのと同様だと、インゴルドは言う。

 話は少し脇道にそれるが、物語もひとつの織り物としてイメージすることできる。イギリスの作家であるブルース・チャトウィン(1949-1989)の有名な『パタゴニア』という作品があるが、日本語版の池澤夏樹氏のあと書きに、「彼自身の旅を縦糸とし、かつての人々の事績を横糸として編んだ布が『パタゴニア』である。」(河出文庫)という一文がある。目には見えぬ糸(ライン)で織られた布、それが時に物語であったり歴史であったりする。

  では反対に表面の溶解というのはどういうものか。これは少しイメージがつきづらいかもしれない。インゴルドはこの本の中で具体的に3つの例を挙げているがここで詳しく説明するにはどれも時間を食いすぎるので、今回は刺繍を想像してほしい。刺繍をするときにはまずまっさらな白い布があり、そこには縫わんとするデザインの下書き(それが実際に布の上には描かれておらず頭の中に留まっているイメージにせよ)がある。この下書きが表面に残されている軌跡で、その上を縫うことで軌跡は糸になり、私たちは布自体が透明になったかのように糸(刺繍されたもの)を眺める。これもひとつの表面の溶解だ。

 それから解剖学も、身体の表面を、それを構成する糸に分解するものと見ると、身体という表面を溶解させる。これは人間の身体に関わらず、動物や植物を対象としても同じことが言える。

 どうだろう、世界が無数のラインで成り立っている様を少しでも感じてもらえているだろうか。数えきれないラインの絡まりのそのただ中に、そして自らもラインの束として、私たちは生きているのである。

 そう意識すると、見下ろす自分の手や、窓の外で風に身を揺らしている草木の見え方もまた変わってくる。さまざまなラインを意識するということは、自分の生をひいてはこの世界をより立体的に複雑に捉えることに繋がると、私は思う。そしてそのさまざまなラインの絡まりの中に自分を含めたあらゆるものの存在があることを感じるとき、自らのあるいは他者の、あらゆるものの「生」がより生々しく浮かび上がってくるのだ。

 その生々しい「生」について、ラインの観点から触れられているのがこの本の第3章から第4章である。

 たとえば、家系図を思い浮かべていただきたい。細かい説明を端折って簡単に言ってしまえば、血縁のラインは糸でも軌跡でもない。成長することも流れることもない、ある運動が描いた1本のラインを切り分けて、それぞれの切片を点の中に巻き取り、ただ点と点を連結しただけのものである。

 例えば、A地点からB地点に飛行機で移動するとき、A→Bの移動はAという点とBという点を結ぶ線として地図上に表すことができる。AからBに移動する間にも、私たちは生きていて、空港を歩いたり、機内でトイレに立ったりしているが、移動を図に表すときその動きや生の衝動は全て点の中に巻き取られて見えなくなってしまう。

「世界の住人として、人間であろうとなかろうと、全ての生物は徒歩旅行者であり、徒歩旅行とは常に完成された存在をひとつの世界から別の世界へと輸送することではなく、自己刷新ないし生成の運動である。徒歩旅行者は世界の織物の一部として成長し、自らの運動を通じて永遠に織られ続ける世界に参与する」(P 184)。

 つまり、家系図などの系譜図に表されるのはあくまで点と点で連結された位置関係のみで、実質的な「生」のラインとは異なるわけだ。私たちの生というのは世界の「中」に息づいているものだが、家系図などは表面を横断するラインで、生のラインそのものではない。生のラインは点から点を連結するものではなく、始まりも終わりもなく常に進行している。

 ダーウィンの進化論では生のラインがまさしく点に閉じ込められてしまう。点と点を結ぶ線によって伝達されるのは遺伝的あるいは文化的な情報のみで、現実的な生のラインの連続性は失われてしまうのだ。それに対してインゴルドはアンリ・ベルクソン(1859-1941)を引き合いに出しながら、「生はいくつかの地点の内部に閉じ込められるものではなく、ラインに沿って展開されるものである」(P168)と書いている。非常に開放的な一文だと思う。ベルクソンにとってすべての存在は世界の中で固定化されたものではなく、自らの運動や活動のラインにそって具現化されるものとされる。

 本書の中で度々名前の上がるベルクソンはフランスの哲学者だが、彼の生命観はとても生き生きしたものだ。彼は生きているということは、すなわち異質的なものによって組織されている状態だと考えた。これはまさに先ほどに述べた解剖学的なラインの視点だ。身体の中では絶えず細胞が組み変わり、別の構造になり続ける(生成変化)状態、それが生きているということだと。

 このような動的で瑞々しい生命への視点は、のちにベルクソンからジル・ドゥルーズ(1925-1995)へと受け継がれてゆくものでもある。ドゥルーズは存在論(存在するとは何か)の観点から、全ては常に生成変化のそのただ中にあることを肯定的に主張した。

 そのドゥルーズがフェリックス・ガタリ(1930-1992、 フランスの精神分析家)との共著『千のプラトー』の中で掲げた、リゾームという概念がある。これは、植物学の用語で根茎の意だが、特権的な中心のなく多方向に「線」が絡まっていることを指す。ドゥルーズはそう言ったリゾーム的な関係や思考こそを望ましいものとする。やはりここでも生命(生きている状態)というのは点に閉じ込められるものではなく、リズミカルな線であることが言われるわけである。あらゆる線は絡まりながらも常に成長し、切断されたり、はたまたあらゆる線と接合され得るのだ。 

 自分自身がそれらの複雑な線のもつれの中に生きていると認識すること、その世界の複雑さを捉えるということを、私は全ての前提としてとても大事に思う。その複雑さを認め、あらゆるもつれのただ中を生きるというのは、ある意味非常に不安定で危なっかしい行為でもあるのだけれど。

このようにラインという観点からあらゆるものを見つめ直してゆくことは、自分自身の身体、精神、思考、そして世界の全てにまで繋がってゆく。私自身、この本が(ラインを考えるということが)あまりに多くのことと繋がりすぎるため、綺麗に要約することはもはや諦めすらしたが、ラインという観点からあらゆるものを捉えるという試みの面白さが少しでも伝われば幸いである。

 複雑に入り組んだ内容にもかかわらず、躍動感と爽快さをも備えた素晴らしい内容なので、願わくば、是非手に取ってもらえたら。

 読書という行為は歩くことと似ている。私たちは“徒歩旅行者”としてこの本で作者が切り開いた道を辿り、新しい何かと出会い、考え、そしてまた世界の網目の中に自らの道を切り開いて(ラインを伸ばして)ゆくのだ。正直、読むのに体力の要る本だとは思うけれど、是非気負わず気ままに歩いてみてほしい。

 思いも寄らなかった道が、目の前にひらけるかもしれない。

 

守屋 李央 / もの書き 絵描き

山梨県出身 創作活動と向き合うため今年の春から北海道・札幌に拠点を置く


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MMSS体験寄稿 第1冊目 「MORANDI’S OBJECTS」

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さて、今回の雑記の内容ですが、標題にある通り「MMSS体験寄稿」という企画を始めたいと思います。MMSS体験寄稿とは、MMSSを実際に体験してもらい、本にまつわる文章を寄稿してもらうというもの。

今回、MMSSを体験してもらったのは絵描きである守屋李央さん。

5年以上前にインスタグラムの絵を見たときから私とのやりとりが始まり、守屋さんは少し前から文章も綴っていて、どれも素晴らしく今回の体験寄稿に参加いただきました。

そんな彼女の第1冊目は「MORANDI’S OBJECTS」です。



モチーフが語る画家の軌跡

「MORANDI’S OBJECTS」は、写真家であるジョエル・マイロウィッツが、画家ジョルジョ・モランディ(1890ー1964)が所有していた花瓶や缶その他オブジェなどの静物(スティルライフ)を1点ごとに写真に納めた写真集である。マイロウィッツは2015年の春にボローニャを訪れ、モランディが40年以上座っていたのと同じ場所に座り、モランディが絵を描いた時と同じように自然光のみでそれらの静物を撮影した。絵そのものや単にモランディが過ごした部屋を写した写真ではなく、かつて画家自身が見つめ繰り返し書き続けていた対象たちと1対1で対峙できるという、手にした者に貴重な機会を与えてくれる他にはない1冊だ。




 ジョルジョ・モランディはイタリア・ボローニャ生まれの画家で、20世紀前半に活動した画家である。彼は生涯のほとんどをボローニャの自宅と、グリッツァーナというボローニャ近郊に構えたアトリエで過ごした。二つの大戦があり、美術界でもさまざまな芸術運動が生まれては消えた、そんな目まぐるしい社会の中で、身を置く場所を変えず、初期でこそ前衛美術へ近づいたことはあったがその期間はごく限定的で、以後はひたすらに作業台に配置した静物や、風景ばかりを描き続けた。簡単に紹介するならばそんな画家である。

 

 私がモランディの絵を初めて見たのは2015年の東京ステーションギャラリーでの展覧会「終わりなき変奏」だった。彼の生の絵を目の前にするまでは、その絵は緊迫感のある美しい静けさに満ちたものであろうと思っていたのだがー、というか実際に緊迫感も静けさもありはしたのだが一方で想像とは裏腹に静けさとは真逆のせめぎ合う動きを感じもした。というか、むしろそちらの衝撃が強かった(ついでに、絵は本当に生物だということを、私は声を大にして言いたい)。穏やかな色彩の絵が並んだギャラリー内は空間としても統一感があり整って見えたが、その直後にそれがあくまでも表面的な印象でしかないことを思い知らされることになる。

 1対1で絵と対面すると、物たちが静かにそこにただバランスよく描かれているというよりは(もちろんそれらの配置や色彩に対しては並々ならぬ探求心を持っていたことは言うまでもないが)、部屋に入る自然光を含め完全にモランディのコントロール下に置かれた空間と、試行錯誤の末その時点ではそこしかないとされた場所に配置されるべくして配置された静物によって織り成される複雑な揺らぎがあった。もはや危うさすらあるギリギリのところで成立したその画面には、彼の絵からは一見すると連想されにくい「過剰」という言葉を私に思い起こさせもした。過剰なのに過剰でない。相反するが、同居する。なにこれ、ものすごく攻めている・・・。正直あらかじめ自分の中にあった勝手なイメージのせいで、そのギャップに混乱すら覚えて絵の前で訳のわからない笑いが込み上げてきた記憶がある。展覧会のタイトル「終わりなき変奏」、つまりまさにヴァリエーション(変奏)なのだが、静物画から風景画に至るまでその全てが、過剰なまでの反復と修正を繰り返す巨大な連作のようであった。その強度といったらものすごい。

 静けさの中に潜む、うごめく何か。せめぎあう物同士あるいは物と背景。絵自体が何か明確な主張をする訳ではないが、果てしない時間をかけて構築しては解体し、そして描くというその気の遠くなるような作業の繰り返しの中で生み出された作品群の奥には、画家自身の葛藤や世の中とは一定の距離を意図的に保った抵抗が見え隠れしているようにも感じられた。いずれにせよ、描くものを限定し、確固たるスタイルを確立することで、彼は無限の可能性の中に生きることができたのだと思う。

 彼を知る者なら、彼の絵を見ればすぐにモランディとわかるだろう。どうしたってモランディ的だからだ。それも確かに画家自身の意識的な狙いのひとつではあるかもしれない。しかし、確立された表面的なスタイルのその奥に潜む何かを絵の前に立って見出したとき、私たちは彼の絵を本当の意味で見ることができるのではないかと思う。よく言われる「静寂」だとかそういう言葉のみでモランディの絵を形容するはあまりにも勿体無い気がするのである。

(余談だが、自身で完全にコントロールできる空間を設定し舞台を限定して、その中で繰り返し反復・修正し追求していく、という姿勢、モランディに引けを取らないほどの精神性と作品の完成度の高さで、私が思い出す人物がひとりだけいる。日本の映画監督、小津安二郎である。私個人の中でこの2人の人物は関係を持たざるを得ない。今回の書籍とは関係ないので詳細は割愛するけれども、機会があれば是非に。)





 そういう意味では、この「MORANDI’S OBJECTS」は私たちに贅沢な経験を与えてくれる。彼が作業していた空間に腰掛けることは叶わなくとも、モランディの所有していた静物を1点1点まじまじと穴の開くほど好きなだけ見つめることができるのだから。

 しかしながら、画家の描いた対象物を写真家が写真に収めることで、良くも悪くもそこに映るもの・私たちが見ることができるものはモランディが絵を描く前に反応した単なる「要素」に過ぎない。過ぎないと言ってしまうと大したことがないように聞こえてしまうかもしれないが、あくまでもそれはモランディの絵を見るという前提を踏まえるからである。ある画家の「要素」にこんなにも贅沢に触れられるという点では素晴らしい本であるし、その試みが書籍という形で残されているというのは非常に有り難いことだ。






 モランディは光沢のあるモチーフが嫌いで、自分の表現したい色味や構図を実現させるために、瓶や缶を塗ったりペイントをほどこしたりしているが、そういった痕跡もこの写真集を見ると鮮明にわかる。この写真集の表紙になっている静物もおそらく筒の上に漏斗をのせて、つまり、自分から理想の形にもっていっているものと思われる。作業台の上に描かれた重なる無数の円は静物の配置を記した跡。彼が理想を追求していく中で対象物の埃を払わずに、むしろ埃による効果を必要としてその埃まで描いたという話はよく知られているが、それを踏まえて埃のあるものはそのまま撮影されている。それこそモランディの絵のごとく、静かに佇んで写真に収められた静物たちもよくよく眺めると静かどころか非常に雄弁で面白い。画家本人にとってはもしかしたら不本意なことかもしれないが・・・。モランディという画家が限界を知ることなく挑み続けたその足跡を見ることができる。





 シンプルな装丁も写真のプリントも美しい。モランディという画家を知らない人には彼と出会う入り口に、彼の絵を知っている人にも余すことなく堪能いただきたい一冊。

 是非手に取ってみてほしい。

 

守屋 李央 / もの書き 絵描き

山梨県出身 創作活動と向き合うため今年の春から北海道・札幌に拠点を置く


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イタリアのデザイナーENZO MARI関連の書籍のご紹介

ダネーゼのプロダクトデザイン集
エンツォ・マーリ、ブルーノ・ムナーリ、深澤直人たちがデザイナーを担ったダネーゼのプロダクトデザイン集。日用品を「新しい考え方」で、社会全体の感覚を変えるようなオブジェを生み出すことを理念としていたブランドです。

プロダクトデザインは人が生み出すわけなので、一つ一つ個性があるのは当然なのですが、エンツォ・マーリの手にかかると年代かかわらずその個性は強烈。ひとつひとつのプロダクトの生物のような線や、素材の取り合わせが素晴らしいです。

エンツォ・マーリのプロダクトの考え方のひとつは、工業的な素材から発想を転換して、斬新なデザインへ昇華させていることが特徴と言えると思います。これは日本にいるデザイナーもホームセンターで素材を探したり、街中で見かける部品(素材であるとか、フォルムであるとか)に着目したり、ヒントをもらえる考え方です。そういった素材に、個人がフォルムへ持つアイデンティティを載せることでも新しいプロダクトが生まれることを証明した第一人者がエンツォ・マーリだと思います。

ぜひ豊かなインスピレーションの源へ旅をしてみてください。

この本の詳細はこちら

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MMSS 会員様によるクリエーションが世界3大デザイン賞のうち、2つを受賞

MMSS 会員様によるクリエーションが世界3大デザイン賞のうち、2つを受賞



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さて、2月にこちらの雑記「MMSS会員さまのクリエーションのご紹介 #2 」でご紹介したPanasonic EW-DJ41 ジェットウォッシャードルツが、世界3大デザイン賞と呼ばれるドイツの国際的なプロダクトデザイン賞である「iFデザイン賞」「レッド・ドット・デザイン賞」(wikipediaに遷移します)を受賞されました。(iFデザイン賞の受賞ページはこちら)



Panasonic EW-DJ41ジェットウォッシャードルツはMMSSの会員でPanasonicのデザイナーである山村有史さん(instagram)がデザインを担当されました。(私も製品を毎日愛用していて、そのことをMMSS会員さまのクリエーションのご紹介 #2に記しました。)



山村さんは、ドイツのデザインに関心がおありで、MMSSでも「Less and More The Design Ethos of Dieter Rams」デザインの原点 ブラウン社における造形の思想をその背景 (和書/日本語)などの本の貸し出し実績があります。そういったデザイン背景の中で、ドイツの権威ある賞を2つも受賞されるというのは日本人として嬉しいです。



山村さん、この度はご受賞おめでとうございます!

デザイナーの山村さんに許可をいただき、

お貸し出しした本の一部をこちらにご紹介します。

興味のある方はぜひ借りてみてください。

Less and More The Design Ethos of Dieter Rams(和書/日本語)

Less and More The Design Ethos of Dieter Rams(和書/日本語)

デザインの原点 ブラウン社における造形の思想をその背景 (和書/日本語)

デザインの原点 ブラウン社における造形の思想をその背景 (和書/日本語)

Kosketus : Humaani kauneus(洋書/フィンランド語)

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Tapio Wirkkala : eye, hand and thought (洋書/英語)

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Man Matter Metamorphosis 10 000 Years Of Design

こちらはMan Matter Metamorphosis 10 000 Years Of Design。2018年12月にフィンランド国立博物館にて開催された展覧会の図録です。フィンランドにおけるモノとヒトの歴史を300点以上にわたって掲載。時系列に掲載するのではなく、新しいもの、古いものを並列に掲載することで、素材の変化、色の変化、フォルムの変化、さまざまなものが浮き彫りになって表すことに成功している名著です。

私は掲載されているものの中でも、石器を見たくてこの本を借りることにしました。

石を磨いて作る摩製石器は新石器時代の代表的な道具。
日本では旧石器時代から使われていたというのです。
これらは石斧などの農具だけではなく、「見る」対象として作られたものもあるそう。
石というのは今も昔も人々を惹きつける対象になってきたようなのです。

現代の人間は川辺に行けばつるつるとした石が手に入ると知っているし、車を走らせ探しにいくのが私の周りではほとんど。ごつごつとした石を磨いてつるつるにしようという発想の人は見かけません。逆に自然にできたフォルムに惹かれるという人が多いように思います。新石器時代の人も川辺に行けばつるつるした石があることは知っていたかもしれないけれど、農具になりそうなものはない。ではどれくらい時間をかけて石器を作ったのでしょう。
実際に石を取り寄せてやってみました。

まず取り寄せた石はサヌカイトという石。讃岐岩とも呼ばれる通り、香川県で多く獲られる石です。
サヌカイトは縄文時代の石器などでも多く使われたそう。硬度はおおよそ7。水晶と同じくらいの硬さ、ダイアモンドは10。wikipediaによると「サヌカイトという名称は、明治政府に招かれ、日本各地の地質を調査したドイツ人地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが、讃岐岩を本国に持ち帰り、知人のバインシェンクが研究して命名した」とあります。なんとなくドイツ人が好きそうな石、ホントなんとなく笑 香川県はイサムノグチがアトリエを構えるほど、石材の豊富な県です(イサムノグチが好んで使ったのは、庵治石)

下、写真左が私が4日間一日中磨いたもの。右が書籍に載っていた石器。
ご覧の通り全然違う笑
一番すごいと思うのは、溝の部分まで丁寧に磨いてあること。
ただ先端を鋭利にしたいことが目的だったら、溝の部分まで磨かないのではと思うのですが、
この時代から、人間は「磨く」ということを道具にするための行為ではなく、美しさも加えることができる行為と認識していたのではないでしょうか。そこには、出来上がったものが美しいものであってほしいという信念を持っていたのではないか、ということが分かります。
この溝を磨くのは本当に大変で、結局つるつるになるまで磨くことはできませんでした。
もちろん使っていくうちに擦り減りながら、フォルムが形成されるとは思うのですが、
当時の研磨の技術と根気には驚かされました。

この本は本来はフィンランドの文化を形成してきたものを紹介している書籍なのですが、美しい写真とフォルムのアイテムが多く、何回も借りて一つ一つ深掘りしていくのも面白い書籍です。

この本を借りる方はこちら

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MMSS会員さまのクリエーションのご紹介 #2

Panasonic EW-DJ41ジェットウォッシャードルツをMMSSの会員である山村さんがデザインを担当されました。

このジェットウォッシャードルツというのは、口腔内の健康を保つためのアイテム。具体的には、本体にノズルを取り付け、超音波水流で歯間や歯周ポケットなどの汚れを除去するというもの。使ってみるととても口がさっぱりしますし、口臭やマスクの臭いも気になる回数が減りました。

普段の歯ブラシを使った歯磨きでは口の中の80%しか取りきれていないと言われています。
残りの20%はフロスやこういったアイテムで100%に近づけていくというのが歯磨きの基本的な考え方のようです。そうしたことからこういった製品が生まれています。

このプロダクトの嬉しいところは、プロダクトとして多方面的にデザインされているということ。ディーターラムスが10ヶ条で定義したように、デザインは見た目だけではなく、正しく使えること、わかりやすさ、使い続けられることが大事なのです。現に私は今でも90年代のBRAUNのシェーバーを使っていますが、壊れることなく現役です。

このプロダクトは、Panasonicが持つ衛生商品への厳しい品質基準に適合できるよう本体の衛生管理にも配慮してデザインされています。具体的には、水を貯める受けの部分まで分解できるようにすることで、汚れが溜まりづらく洗いやすいなどの配慮がなされています。(写真3枚目)また、メーカー名や商品名などもプリントではなく、ホットスタンプを施すことで洗っても落ちづらい(口の中に入りづらい)ような配慮もされています。

また、このプロダクトはトラベル用としての位置付けでもあるので、旅行先にも持って行けるようデザインされています。ノズルを取り外して本体の溝に入れることでコンパクトにすることができます。(写真2枚目)また、その溝は握る際に指を入れられるので、持ちやすくなるという一面も。(写真4枚目)私は実際に出張先に持って行き、接客する際にも口臭を気にすることなく仕事をすることができました。

一番はアイテムの機能。二番に正しく衛生的に使えるデザインであること。三番目に美しく使いたいと思えるデザインであること。そういったことが細部まで、最後まで貫かれているプロダクトになっていると思いますし、こういったプロダクトにこれからも出会えるのではないかと思うとワクワクもしてしまいます。山村さんのこれからのご活躍にMMSSは注目をしています。

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2021.11.26-2021.12.2 OBJECT TOOL at MATOYA

企画 | MMSS
主催 | MATOYA

昨年11月28日から12月2日まで愛知県岡崎市MATOYAで開催した「OBJECT TOOL」。
改めましてお越しいただいた皆様ありがとうございました。(だいぶ時間が経っていますが、、、笑)

岡崎という街は、愛知県の中でも人口が多いのですがコンパクトで、その中に尖った審美眼を持ったお店が集まった街です。なので、街の風景を堪能しながらお店巡りや(愛知県といえばの)喫茶店めぐりが楽しい街。その一つが「MATOYA」というお店。3年ほど前に開店した器のお店で、雑誌で取り上げられることもしばしば。移転前のお店は、細長い形状の小さい店内に、面白い仕掛けがたくさんある豊かなお店でした。そのMATOYAがより大きな空間のお店に移転されるということで、移転企画として貸本屋であるMMSSが持ち込んだのが「OBJECT TOOL」という企画でした。

さまざまなジャンルの垣根を超えた美しいもの達を集めるとどうなるのか。それらはどう反応するのか。近寄るのか、遠くなるのか。喧嘩するのか。仲良くなるのか。

お店に来ていただいた方はもちろん、写真だけでも美しく尖った素晴らしい空間を生み出せたのがお分かりいただけるのではないかと思います。Ph.D.の荒井さん(MMSSでもトピック作りをしていただいています。)が大変素晴らしい家具を搬入していただき、より美しい空間へと踏み込むことができました。特に大きな1940年代のアアルト table 92 FINSVENモデル(写真3枚目)が鎮座している空間を見たときは、この大きなテーブルを持ってくる荒井さんの決断に感服したものです。(そして販売することもできたので尚のこと御の字。)

また、特にSTOOLに送っていただいたソル・ルウィットのリトグラフは好評で、2日連続でリトグラフを購入しに来ていただいた方も居たくらいでした。

小倉さん、稲葉さんの現代作家の作品も光とともに変化をし、お客様も楽しい光景だったのではないでしょうか。

SENNのお香は空間を3次元だけでなく、4次元的に美しい方向へ誘ってくれました。

HEUGNからは、この展示のためだけに作ったReading Coatを販売。
ベースにあるモーターサイクルコートのポケットをA4サイズまで拡大。
貸本屋を営むMMSSならではの別注品となりました。
展示期間が終わってからもSNSで広がりを見せ、こちらも販売することができました。

個人的にはMMSSをお客様に直接お勧めするのは初めての経験であり、自らMMSSという事業についての理解を深める機会にもなって、たくさんの人たちと接することができ、人として上向いていけるきっかけになった気がしています。

お客様も参加してくださったブランドや作家様も、MATOYAの的山さんも、そして私たちも、みなさんが嬉しくなるような企画ができて光栄な時間を過ごせました。ここに、改めて感謝させてください。ありがとうございました。



- 参加者一覧 -
ガラス 稲葉知子
木工 小倉広太郎
メンズウェア HEUGN
ヴィンテージウェア(ウィメンズ) LILY1ST VINTAGE
貸本屋 Modernist Mind Sharing Service
ヴィンテージ家具 Ph.D.
インセンス SENN
インテリア STOOL

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MMSS会員さまのクリエーションのご紹介 #1 / ensuiへのインタビュー「珈琲はファンタジー」

この時期のおすすめ「ケニア」。 深煎りでビター、なめらかで重厚な珈琲だった。

この時期のおすすめ「ケニア」。
深煎りでビター、なめらかで重厚な珈琲だった。

MMSSでは2021年9月より会員様向けのサービスとして、お送りする本と一緒に新潟の珈琲屋ensuiの「珈琲バッグ」を同梱させて頂く取り組みをスタートしました。この取り組みを記念して、今回ensuiのオーナー細貝さんにインタビューを行いました。


小玉:まずはじめに伺いたいのですが、細貝さんはどのようなきっかけで自ら珈琲屋さんを始められたのですか?もともと新潟の珈琲店で働かれていたことは存じております。


細貝:大学卒業後は広告会社で働いていたのですが、新潟の珈琲店のオーナーのものの考え方に惹かれて、東京にいる頃から「働きたい」と申し出をしたことがありました。その時は断られたのですが、広告会社を辞めてあてもなく地元に帰った時に、たまたまタイミングがあって一緒に働くことができました。

元々独立は見据えていたので、3年ほど働いた後、自身の結婚と子どもが生まれたことを契機に、昨年から本格的に、ensuiとして活動をはじめました。

珈琲に興味を持った、という意味で言えば、在学中にスターバックスでアルバイトをしたことがきっかけです。働き始めた頃は、コーヒーの味はおろか、ブラックコーヒーすら飲めませんでした。そこから、都内の喫茶店やカフェを巡ったり、自家焙煎店のコーヒー屋の店主から焙煎の話を聞くようになりました。


小玉:働きたかった珈琲屋のオーナーさんのどういった考え方に惹かれたのですか?


細貝:具体例を挙げるとキリがないのですが、当時はSNSやブログなど、店主がウェブで発信している内容はほとんど目を通しました。ざっと10年分くらい。

例えば、コーヒー豆の値付けの話。その珈琲店はブレンド、シングルどちらも全種類同一価格で、その理由が「値段ではなく、好みでコーヒーを選んでほしいから」

飲食の業界で言えば、値段は原価から設定するのがセオリーです。ここからは私の解釈も含みますが、そのオーナーは値段という変数を減らすことで、お客さん自身に選ばせる(値段が高いもの=おいしいものという先入観に囚われないようにする)という主体性を引き出しているわけです。

これはマーケティング的に見れば、好ましくない方法論(選ぶ際のファクターが多いほど、顧客は意思決定がしやすいから)ですが、その「マーケティングをしない」というマーケティング(?)に、地方でやりたいことを続けていく、ひとつのヒントがあると思っています。

地方でお店を持てば、(基本的には商圏ビジネスですから)、その土地にいる人にいかに受け入れられるか、を考える必要があります。ただ、皮肉な話、その土地にいる人に受け入れられるものばかり作ると、(商圏の外側にいる)自分がほんとうに届けたい人に届かなく(質としての強度が足りなく)なります。

つまり、内側だけ盛り上がって、外側の人がその輪に入れない構造が出来上がります。それでも食べていくビジネスモデルを作ることは可能でしょうが、私はそういう道に進む気になれなかった。

そのオーナーが言うように、マーケティングをしない(=周りの耳に傾けるより、自分自身が本当にいいとおもうものをつくる)ことで、輪の外側にいる人にまず届けよう、とensuiをはじめてから今でも思っています。


小玉:地元に根ざしている受け入れられるものだけではないからこそ、ensuiさんは積極的には店舗を持たず、オンラインショップを軸に珈琲屋を営んでいるのでしょうか?


細貝:いえ、実店舗は常に念頭にあります。まだぴんと来る物件が見つかっていないというだけであって。

先ほどの話につながってくるのですが、まず外部にアクセスすることで、その後を追うように内側のひとに届かせる、ということができると思っています。

地方の人は目新しいものに拒絶反応を示すことが(相対的に多く)あり、その不安材料を取り除くには”外部の人に認められている”という証のようなものが必要です。

具体的には、ローカル誌ではない雑誌に載るとか、著名人のお墨付きがあるとか…..。なんでもいいんですけど、そういう外部目線の情報があってはじめて、「うちの地元にこんなお店があるんだ」と事後的に気づくことがあるんです。

このプロセスなら、自分がやりたいことを地方であっても、続けていけるのではないかと。あくまでも仮説ですが、そんな空想をしています。(もちろん外部の人から見向きもされず、そのままフェードアウトする可能性だってあります)

結局、私は広告会社を出ていながら、今そんな考えをしているわけです。


小玉:たしかに、地方の人は新しいものを遠ざけてしまう傾向にあるようなことは聞きます。細貝さんはそれは何故だと思われますか?

細貝:やはり新しいものに触れる機会が少ないからでしょうか。アートのように、意味や用途が見出しにくいものへの抵抗もあるかと思います。

私が住んでいる新潟県は、雪国で面積も広く、ひととの繋がりにおいて保守的な面もあるかもしれません。

小玉:これからの季節、ensuiさんのおすすめのコーヒーを教えてください。

細貝:珈琲のおすすめはあまり得意ではないのですが(笑)、秋口から冬にかけてはやはり中深〜深煎の珈琲でしょうか。

滋味深く果実味のあるケニアは、秋が旬の果実のように芳醇で、肌寒い日にしみじみと温まるのに良さそうです。

小玉:その土地や風土、周りの環境によって自然に人間も好みや趣向など変わってくるかも知れませんね。おすすめを教えていただきありがとうございました。珈琲はたくさん種類がありすぎて、自分の好みを見つけるまでに時間がかかるように思います。こうやって季節によって焙煎の度合いを選んでみたり、品種を変えてみたりして楽しんでも良さそうですね。ensuiではどういった基準で豆を選んで焙煎など行っているのでしょうか?

細貝:基本的には自分が美味しいと思うかどうか、というのが最優先ですが、流行に左右されない珈琲かどうか、も大切にしています。

ensuiでもいわゆるスペシャリティ珈琲を扱っていますが、そのフレーバーが行きすぎていないか?(日常的に飲むのに差し支えないか?)がひとつの判断基準です。やはり珈琲を日々楽しんでほしいと思っているので。

それと香りはもちろんですが、口当たり(マウスフィール)も重要な要素です。食べ物を質感(テクスチャ)で味わう日本人に合った珈琲をつくりたいです。

あとは産地でしょうか….。ensuiでは、”アジア””アフリカ””中南米”それぞれの珈琲豆をバランスよくラインナップしたい、と考えています。

理由は各産地の個性がそれぞれ異なるから、というのもありますが、珈琲が地球上の様々なエリアに存在している、その多様性のようなものを表現したいからでもあります。

いずれはブレンドも、”アジア””アフリカ””中南米”から一種類ずつセレクトしてつくってみたいですね。味覚的にどうかというより、ロマンティックであるということも大事です。珈琲はファンタジーの世界でもあるので。

小玉:細貝さん、インタビューにご協力いただきありがとうございました!

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ensui

ensuiは、2020年より新潟県を拠点に活動する珈琲屋です。良質なスペシャルティ珈琲の中から、さらに個人の眼で生豆を厳選し、自家焙煎を行なう。珈琲豆の他、リキッドアイス珈琲や珈琲バッグなどの珈琲加工品も展開。ensui (円錐) の由来は、北園克衛の詩集から。

Online Shop : https://ensui.shop-pro.jp/

Instagram : https://www.instagram.com/en_sui_/

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MMSSでは現状会員様の大半が様々な業種で活動されるクリエーター様やデザイナー様、事業者であったことから、上記の取り組みのようなジャンルを超えたMMSS会員様との共同企画や、様々な業種の方を交えたコミュニケーションによる企画など、これからも新しい試みを行って参ります。MMSSの取り組みやラインナップしている本をご活用頂いての企画にご興味のある方はお気軽にお問い合わせください。

→ お問い合わせ

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「衝動と熱量」

FRANZ ZEIER の本を真似て作った箱の型紙

FRANZ ZEIER の本を真似て作った箱の型紙

本を読んでいて個人的にいいなあと思うのは、思考がスルスルと頭の中に入ること。これは主観的ではあるし、興味のあるものごとに限られるけれど、ウェブ媒体より効果が大きいんじゃないかなあと思っています。外国語など、今は翻訳アプリも進化しているので、google翻訳アプリ(無料)でスキャンしてみてください。ウェブにはない圧倒的な情報量があります。
もちろん紙がいいウェブがダメという二元論的なことではないけれど。

私は紙が好きで、紙にまつわるものの活動もしているので、MMSSで
FRANZ ZEIER の PAPIER VERSUCHE ZWISCHEN GEOMETRIE UND SPIEL

を借りてみたんです。FRANZ ZEIERはスイスの装丁家です。この本には、紙で彫刻のようなもの、レリーフのようなもの、美しい箱、オブジェが載っているのですが、猛烈に作ってみたいという衝動に駆られました。この衝動というのは、本ならでは。

真似をしたり、応用をしたり、質感のある紙に作品が印刷されているからこそ、実際に作って見てみたくなる。そういった衝動を駆るところが本にはあるような気がするのです。

イタリアのEnzo Mariの本を読んだら、イタリアに行ってみたくなる、実際に作品も見てみたくなる、お店に行ってみたくなる、店主と会話して声を出して、聞いて、見て、そして世界が広がる。こういった五感を使った好循環が生まれる要素を持つのが本だと思うんです。

本にするからには、著者には「猛烈に伝えたい!」”何か”があるわけで、その「衝動と熱量」というのは、PCでキーボードを打つよりも何倍も強いはずなのです。

その「衝動と熱量」を読者は自由に感じたり解釈することができ、それが本の唯一で無二の魅力であると私は信じています。

2021.09.23 テキスト/小玉

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MMSSとensuiの取り組み

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人に淹れてもらう珈琲って美味しいのは何故なんだろう。
どんなに拘った豆を使っていても、家で自分で淹れる珈琲よりも、やっぱりお店で飲む珈琲の方が断然に好きなのです。そこには、空間の味わい、人の真心、わざわざそこへ珈琲を味わいに行くという何か特殊な能力が働いているように見えます。

新潟を拠点に活動するensuiの珈琲は、美味しい珈琲はもちろん、細貝さんの美意識も楽しめる。コロナ禍になって、気軽にお店でおしゃべりしながら、ゆっくりと平和な珈琲を味わえない世の中になった今、こういった美意識が生活を少しずつ豊かにしてくれる。

MMSSは美しいものを学ぶためにあります。
本と向き合う時間を敢えて設けるわけです。
「さあ、始めよう」と珈琲を淹れて、本を読むスイッチを入れる。
本を読んで疲れてきたら、濃くなっている珈琲を一口すすりながら、休憩する。

MMSSでは9月よりensuiの珈琲バッグを無料で同梱させていただくサービスを始めさせていただきます。家での時間、本と珈琲という鉄板で間違えのない組み合わせ。ぜひお楽しみください。MMSSが、皆さまにとりまして新しく美しい時間の創出につながるよう願っています。なお、珈琲バッグは数ヶ月を通して全員の会員様へお楽しみいただくよう取り組みをさせていただきます。

ensui

ensui は、2020年より新潟県を拠点に活動する珈琲屋。良質なスペシャルティ珈琲の中から、さらに個人の眼で生豆を厳選し、自家焙煎を行なう。珈琲豆の他、リキッドアイス珈琲や珈琲バッグなどの珈琲加工品も展開。ensui (円錐) の由来は、北園克衛の詩集から。

Online Shop : https://ensui.shop-pro.jp/

Instagram : https://www.instagram.com/en_sui_/

2021.09.13 テキスト/小玉

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MMSSについて KODAMA YOSHIYUKI MMSSについて KODAMA YOSHIYUKI

MMSSができること 1

MMSSを2021年2月からスタートして6ヶ月が経ちました。
最大会員数50名分のうち、現在(2021年9月13日時点)残り28名の会員枠を募集しております。

MMSSは大人の学びが大きなテーマの1つです。
この投稿を書いているのは、志摩ではなく新しく入ったスタッフ小玉(はじめまして!)によるものなのですが、正直大人になってから学びということをせずに生きてきたのが正直なところです。
もちろん自分の興味のあることは、素直に本を読んだり、美術館や博物館に行ったり、図書館に行ったり、インターネットで調べたり、人に聞いたりしますけれど、大人になると自分の興味のないことを学ぶ機会はそれほど多くないことに気がつきます。

そもそも自分の興味のない情報って入ってこないシステムになっているような気がするんですよね。
インスタグラムやツイッターの広告だって趣味趣向に従って出てくるし、AIによってなんでもかんでも予測して出てくるでしょう、あれ嫌なんですよね、自分が覗かれているような気がするから。

図書館に行っても、結局自分の興味のある本ばかり目に付くから、やっぱり入ってくる情報は偏ってしまいますよね。

MMSSは顔も知らないし、相手がどういう人なのかもわからないかもしれません。ですけど、手紙でやりとりしたり、ひとりひとりの温度感を大事にしながら運営しています。なので、何に興味があるのか、どんなことが好きなのかなどお聞きしながら、もし借りたい本が分からないということがあったり、客観的に選んで欲しい(コンシェルジュのようなことですね)ということがあればお気軽にリクエストをいただければと思います。

MMSSで選んだ本は外国語のものが多くありますが、写真中心のものをあえてラインナップしているので、情報が読み取りやすいのもひとつポイントです。

MMSSは186冊の貴重な書籍が揃っています。本はどんどん増やしていく予定(1000冊を目標に!)です。

ぜひ楽しみにしていただければと思います。

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