Mathieu Mategot

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本日はMMSSで多くラインナップしている家具デザインに関連する本の中でも、マシューマテゴについての本をご紹介させていただきます。

マシューマテゴは1910年にハンガリーのタピオ・サリーで生まれた家具、タペストリーデザイナーである。1925年に父親が死に、家族全員でハンガリーの首都であるブダペストに移り、ブダペスト美術学校で4年間学び、国立劇場の舞台装飾の仕事に就いた。イタリアやアメリカ、南アメリカなど様々な場所へ旅に出たあと、パリに定住したマテゴは、デザイナーとして活躍した。小さい頃からタペストリーに触れていたマテゴは、自らもその制作に情熱を傾けていた。第二次世界大戦でその制作は中断され、捕虜となったマテゴはドイツで4年間監禁され、収容所で農業や機械工をすることを余儀なくされた。そこでマテゴの家具の代名詞となったパンチングメタルなどの素材と出会う。捕虜から解放され、フランス・パリに戻ったマテゴはタペストリー制作を再開させ、1948年にはフランスに帰化し、タペストリーと家具作りで生計を立てることを決心をした。その後、フランスのディレクターであるDenise Manoelと出会い、タペストリーの展覧会を開くようになった。家具の販売はすぐに軌道にのり、1949年には20人の職人を抱える工房に成長した。

本書はそんなマシューマテゴの主に家具についてを軸に系譜を辿り、その人生や感性を覗き見する内容となっている。上述したようにマテゴがパンチングメタルと出会ったのが捕虜時代だったことは興味深い。捕虜として働きながらも様々な素材に目を光らせていたに違いない。これで何か作りたい、そうウズウズした気持ちを抱きながら仕事をこなしていたのだろうか。

また、この本の終盤にはフレンチミッドセンチュリーの上質でモダンなインテリアがふんだんに掲載されている。これはきっと貴重だ。

マテゴの家具は滑らかなカーブに乗り、パンチングメタルのドットからも、まるでグラフィックデザインから飛び出てきた家具のように思える。

巻末の略歴にはタペストリーのことばかり触れていて、マテゴはタペストリーがメインで家具はサブだったりするのかなと勝手に連想してしまうが、現代の日本ではマテゴといえば「家具」のイメージが定着している。

ビビットな色彩とモダンな造形から現代でも愛好家が多いマテゴの貴重な一冊をぜひ楽しんでほしい。

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