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モンパルナスの交差点

(※こちらのトピック作りは伊勢丹新宿店にてISETAN THE SPACEなどのプロモーションスタイリストとして運営に携わる永井祐貴氏にご担当頂きました。MMSSでは「私もトピック作りや本選びをやってみたい!」という方を募集して参ります。MMSSで生まれた収益を「100年後に残すべき美しい本の購入代」に充てさせて頂きます。ご興味のある方はこちらよりお気軽にお問い合わせください。)

20世紀初頭のフランス。工業の発展に伴い、フランス政府は労働力を補うために異国からの移民・移住の受け入れに対して非常に寛容な政策を行っていました。中でもモンパルナスは国立美術学校やルーヴル美術館といった芸術の学びの場が近くにありながらも、低賃金で暮らすことのできる場所でした。

各国からやって来た若き芸術家たちがモンパルナスを重要な生活・活動拠点としたのは必然だったのでしょう。そのようにしてモンパルナスに導かれた彼らは、故郷から離れた言語の異なる世界で共鳴し合い、新たな芸術を芽吹かせたのです。

若い芸術家たちは貧しい生活の中でアトリエ兼住宅の集合住宅や、大通りに面するヴァヴァン交差点に点在するカフェなどで親交を深めていきました。

また多くの異国人が集まるモンパルナスは国籍・民族に左右されることなく、自由で<ボヘミアン>な生活を謳歌できる場所でもありました。

若き芸術家たちが、社会に捕らわれずに前衛的な芸術を追求していくことができたのはそのような環境も大きく影響しているでしょう。(画商や批評家、詩人、ジャーナリストといった芸術家以外の多様な人々もモンパルナスに集っていたことも、この時代の芸術を花開かせた一つの要因かもしれません)しかしながら、彼らは故郷の文化・民族性を放棄することはありませんでした。

芸術の最前線であったその場所で、自身の中に根ざす「故郷」を織り交ぜながら新しい芸術表現を目指していったのです。

ジョルジュ・ブラックと共に「キュビスム」を生んだパブロ・ピカソ。印象的なフォルムで作品を描いたアメデオ・モディリアーニや故郷・民族の記憶を源泉としたマルク・シャガール。彼らとの交流を経て東洋・西洋の様々な表現方法を下地に「乳白色」を完成させた藤田嗣治。

後世に名を遺した彼らは皆、「故郷」を素地としたモンパルナスの<ボヘミアン>な画家たちでした。故郷を旅立ちモンパルナスで出会った<ボヘミアン>たちが、自身の背景にある文化を元に何を想い、空想し、求めたのか。作品という痕跡を辿って行けば、彼らの見ていた景色を知ることができるのではないでしょうか。

コロナ禍により様々な「制限」が当たり前になってしまった現在。世界が少しばかり遠いものになってしまいましたが、彼らのような「自由」な心の目で視ることによって、閉じられかけた世界の扉が再び開いていくような気がするのです。

2022年7月7日 永井祐貴

永井祐貴 / スタイリスト

東京出身。朋優学院美術コース卒業後、美術史を学び学芸員資格を取得。現在は伊勢丹新宿店にてISETAN THE SPACEなどのプロモーションスタイリストとして運営に携わる。