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初期コムデギャルソンの世界
少なくとも00年代までは社会の中であれだけパワフルだったファッションの力が縮み始めてから、長い時間が経っています。
生き物の呼吸のように、あるいは季節の移り変わりのように、膨らんだり縮んだりを繰り返していくのでしょう。嵐の前の静けさ?
現代はファッションが好きな方にも、そうでない方にも、多くのファッションが「中身がない、からっぽ、実が伴わないもの」であることが直感的に分かる時代に入っているのではないでしょうか。
私は服を提案することを生業 ー本業で小さなファッションレーベルを運営していますー としている一人としてこの状況に対して悔しい想いをしたり、この悔しさを再出発の原点を見つけるためのヒントとして、新たな希望を見出したりしています。(早速ですが、、脱線します。私は個人的に、現代においては「ファッションの力」と「服の力」は分けて捉えて考える必要があるのではないかと考えています。服の力は、一般に広く認識〜評価されているようなものではなく、本来は人間にとって凄まじい根源的なエネルギーに満ちているものだと解釈しています。人間がほとんど24時間身に纏っているものの力、植物や動物の生命を頂きながら、借りながら糸や生地が生まれ、多くの職人さんが携わって初めて生まれる服の力が、不要不急なもののはずがありません。その代わり、商業目的のためだけに生まれてくる世界中の多くの商品については、これに魅力がないことは認めなければいけないと考えています。)
パワフルだったファッションとは一体何でしょうか。作り手の思想と服を着る者たちの熱量で練り上げられたものが昔は確かに在ったものだと思います。
当時最高のデザイナーたちもファッションが「虚」であることに潔い自覚を持ちながら、その上でファッションが社会や現実、人と触れ合って生まれる感動の極限を見ることを切望し、アートにも達するような素晴らしいクリエーションを生み出していました。
このような時代に世界中の人たちを触発し、エネルギーに満ち溢れていたクリエーションに触れて頂きたく、このトピックでは日本から生まれた世界最高峰のクリエーター陣(一部海外のアーティストも参加)が表現した印刷物をラインナップさせて頂きました。
中には読みものも含まれています。
当時のコムデギャルソンのクリエーションを深く知ることで現代で私たちが何に触発され、何を学ぶことができるでしょうか。
20年、30年以上も昔に発刊されながら今尚輝き続けているこれらの印刷物がきっと何かを語ってくれます。
2021.01.11 志摩